140118 続:雲が「とれる」?

 三一 答案:芥川龍之介著「追憶」より                       
 確か小学校の二、三年生のころ、僕らの先生は僕らの机に耳の青い藁半紙(わらばんし)を
配り、それへ「かわいと思うもの」と「美しいと思うもの」とを書けと言った。      
 僕は象を「かわいと思うもの」にし、雲を「美しいと思うもの」にした。それは僕には真実
だった。が、僕の答案はあいにく先生には気に入らなかった。「雲などはどこが美しい?象も
ただ大きいばかりじゃないか?」先生はこうたしなめたのち、僕の答案へ×印をつけた。  
引用先;http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/1141_15265.html 青空文庫


 前編で、お天気キャスターや気象予報士の「雲がとれる」という表現が、あんなに
美しい雲にそぐわない言い回しじゃないか!、と苦言したのだが、偶然というべきか
、つい最近 ふと聞いたラジオの高校講座で、高階秀爾氏の美術評論:美しさの発見
を現代文の題材に用いて「雲は美しいのか?」という解説があり 興味をそそられた。

 その講座の講師の解説によると、高階氏の美術論の骨子は以下のようである。 
「美しさ」は 対象にではなく、それを感じる人間の心の方にあり、鋭い感受性と
柔軟な魂の持ち主なら平凡なものに「美しさ」見いだすことがある。例えば、小学
時代の芥川竜之介が、学校の先生に「美しいものは?」と問われ、答案に「雲」と
書いた(文頭三一 答案参照)のが その良い例で、竜之介が鋭い感受性を持っていた
ので、、他人には平凡なものに過ぎない「雲」に美しさを見いだしたのだ。   

 だとすれば、無神経に「雲がとれる」と言って退けるようなお天気キャスター
には鋭い感性がないと言うことになり、やっぱりね、と納得している。    

 しかし高階氏が、雲は平凡な対象例、としている点は、いささか心外である。
上空で千変万化する雲は、ある時は見事な幾何学的文様を描き、またある時は、
宇宙的空想をかき立てるような情景を演出する。それらに感動を覚えるのに特に
鋭い感受性が必要だとは思えないのだ。それらはそこに見えているのであって、
感動しないのは、単に気がつかないからだと思う。 つまり、雲自体が美しさを
内包しているのだと思っている。                     

 ところで芥川龍之介は、どんな雲を美しいと思ったのだろう? そして、なぜ
可愛いものは「象」だと答案に書いたのだろう?              
 文頭に掲載した竜之介の小文を何度か読み返すうちに、ふと考えた。あの早熟
な才人竜之介が、そんなつまらない質問に真面目に答える筈がない。あまりにも
馬鹿げているので、「象」だ「雲」だと、先生をからかったに違いない、と。 




写真引用先:                                        
上左;http://maplesyrup.tea-nifty.com/365/2009/08/post-6946.html 365連休の日々          
上右;http://kimamatime.exblog.jp/16762550/ 気ままな時間を ゆったりと  山で出会った美しい雲たち
 下;http://blog.livedoor.jp/haroshiro/archives/2012-07.html 2012年07月 森への想い         
参照文献:                                        
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_kokugo/archive/chapter070.html            
高校総合71回 美しさの発見(高階秀爾) 講師 都立国分寺高校 渡部真一      


トップページ戻る